がんさんのいた街...立川 ②

がんさんのいた街...立川 ②

平成29年夏から昭和49年夏のあの幼稚園の廃墟へ。

8月に入り、いよいよ夏本番ですね。今年は、我が街立川の花火大会は残念な事に雨模様。

ギラギラ太陽に向かって両手を広げ、夏を満喫しなくては…。二度と来ない今年の夏ですから。紫外線には要注意!ですが。

さて、そんな平成29年から、一気に昭和49年の初夏、がんさんとふみさんのいる場所に、一緒にタイムスリップして頂きたいです。そんな昭和49年は……こんな出来事があったんですね。

■戦後初のマイナス成長
■超能力ブーム
■長島茂男(巨人)現役引退
■東京国立博物館でモナ・リザ展開催
■ガッツ石松がボクシング世界チャンピオンに
■セブンイレブン東京都江東区に第1号店を出店 etc

なかでも、長嶋さんの引退場面は忘れられません。がんさんは熱烈な巨人ファンで、当時はファンならずとも画面に見入り、胸が熱くなった人も多かったのではないでしょうか。ふみさんもがんさんと一緒にテレビに見入りました。

そんな昭和49年初夏 がんさんとふみさんは笑顔とともに、幼稚園の廃墟に今います。

《 立川からの一歩 》

がんさんとふみさんはいよいよ、立川で商売をする事になりました。

幼稚園の廃墟との出会いから1ヶ月あまり、すでに契約も済み、徽章屋としての商売をスタートする事になりました。しかし、この幼稚園の廃墟をリフォームするお金などありませんから、このままの状態で商売を始めるのです。

誰がみても無謀でした。でも、がんさんとふみさんは全く気にしていないと言いますか、とにかく何もないのですから、今ある物でスタートするしかないわけです。とは言え、現在の様なネット社会ではない昭和49年、店舗は最大の信用にもなるわけです。やはり最低の事はしなくてはなりません。

まず、社名です。これはとても重要な決定事項でした。いろいろ考えました。がんさんは.徽章と言う文字は外せませんでしたから、「()○○徽章」は決まっていました。さて、上に何を乗せるかでした。安易な決め方としては自分の姓を使う事を考えてみましたが、あまりにも小さく感じて、せめて地元立川の名を名乗らせて~、とばかりに

【 () 立 川 徽 章 】 

と決めたのです。

当時は地元で商売をする事が前提でした。今の様に全国を、世界を見据えての商売なんて思ってもいませんでしたから、地元の名を名乗る事も誇りであり勇気が必要だったんです。そもそも、がんさんは立川に何のゆかりも縁もないのに、立川が大好きになっていくのですが、この名前を決めた時は、立川の事など何にも知りませんでしたし、知人も一人もいませんでした。人生には不思議に思う事も多々ありますが、この ()立川徽章】 と言う社名は、がんさんとふみさんにとって人生を輝かしいものにしてくれる、そんな社名になるわけです。しかし、この時は、とりあえず社名! 社名! 社名を決定しなくては……そんな感じでしたでしょうか。

さて、がんさんは社名はこうして迷う事なく決めました。次は、この廃墟をいかに仕事場にするか……とりあえず、事務所には机と電話があればいいわけです。それから作業場も必要でした。幼稚園ですから場所はたっぷりあります。大きな作業台を作りました。そして、がんさんとふみさんは隅々まで掃除をしました。なぜか、その時の場面はいつ思い出しても、笑顔のふたりがいるのです。

次は??? そうです人です。最初はがんさんとふみさん2人でスタートと思ったのですが、営業、電話番、作業と当時はトロフィー・カップは部品を仕入れて組み立てる事が前提でしたし、仕事は足でとってこなくてはいけないし、納品も当たり前(宅配便などありません)、電話注文は耳で聞き確認し、文字にする。トロフィーやカップは記念品ですから、彫刻をして文字を残す。その文字を電話で聞き、聞き間違えたり、言った言わない……どれだけ時間がかかる事か……。特に人の名前は同じ発音で違う漢字が沢山あります。それは大変でしたよ。確認! 確認! 確認!  笑  当時は苦とは思わないですよ。それしかないのですから。  また 笑 です。

FAXもまだその時出会っていませんでしたね~。苦笑

[ 幼稚園の廃墟に集まった人々]

1人目  工場長

《 当時50歳前後でしたでしょうか。ここだけの話、がんさんは5人兄弟の末っ子、ところが、がんさんが大学生の頃、もう一人年の離れた兄がいると知らされたそうです。そのお兄さんが工場長としてここに登場するのです。母親が違うとは言え、職人気質のこのお兄さん、末弟の力になりたいと現れたのでした。》

2人目  谷代さん

《 やはり、当時50歳前後の女性。パートさん募集で張り紙をしたところ、近所に住むこの女性がすぐに応募、すぐ決定、性格? 強し……。でもそれ以上の大きな優しさを持つ人です。この廃墟によく来てくれました。》

3人目  越山さん

《 当時大学生、アルバイトと言う事でやってきたと思うのですが、どうしてもどこからやって来て、どうしてここにいるのか思い出せないのです。やせ細っていて、おとなしく、気弱な大学生がなぜがんさんとふみさんの前に現れたのか、でも確かにこの廃墟に今いるのです。》

工場長 谷代さん、越山さん、この3人とこの幼稚園の廃墟で出会い、今日を生き、明日を信じる気持ち、他に確かなものなど何もないと言うのに、がんさんとふみさんと一緒にこの道を歩き始めてくれると言うのです。

昭和49年6月 幼稚園の廃墟で、5人が笑顔で、立川から一歩 歩き始めたまでのお話しでした。

この真実のがんさんとふみさんのお話を最後まで語り尽くせる事で、㈱立川徽章は輝き続けると信じ、今回はここまでのお話にしておきましょう。

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