がんさんのいた街…立川⑨ 大木にセミ!

いよいよ平成時代も秒読みに入りましたね。そして、新年号が決まりました。4月1日、昭和から平成に変わった時とは全く違った雰囲気の中、メディアはいろいろな場面を映し出していましたね。

『 令 和 』

私たちも少しづつ、この新しい年号に慣れ、5月から本当の意味での新しい時代がやってくるのですね。実は㈱立川徽章では、社内で年号あてを実施していました。みんな、ネットの情報から、また独自で考えて参加しました。いろいろな年号が登場しましたが、やれやれ、もちろん誰も当てる事はできませんでした。(う~ん ですよね 無理でしたね)

大きな声では言えませんが、ピタリ当てた人には社長から金一封がでるとの う わ さ!
いやいや う わ さ !ではなく、社長がはっきり明言しておりましたので、間違いない!!
でも、残念な事に誰も頂けませんでした。残念!

私たちは新しい年号に多くの願いを託す事になるのでしょう。昭和→平成→令和と、三時代を生きる事になりますが、昭和が…昭和が…ますます遠くなる。わが青春が遠くなる。まあまあ、そんな事言っていないで、令和の時代もワクワクする毎日を過ごしましょう。

⑧ではリアルタイムの㈱立川徽章をご紹介しましたが、今年はまだがんさんふみさんに出会っていませんよね。さあ、行きましょう、行きましょう、昭和のあの頃…….立川へ……..。

商売と子育て…自分たちで…

年が明け、徽章屋に生まれた、がんさんとふみさんの長女は順調に育っています。生まれて3ケ月になろうとする頃には、ふみさんも仕事を少しづつ始めるようになりました。しかし、これはがんさんの強い思いで、保育園には預けず、幼稚園に入れる年まで自分たちの傍で育てようと…、ふみさんも同じ気持ちでした。それは大変な選択でしたが、迷う事は全くありませんでした。

今の時代は「イクメン」という言葉もある様に、パパも育児に参加は珍しくありません。街でもパパと赤ちゃんが2人で歩く姿、パパが1人でベビーカーを押して歩く姿を多く見かけます。微笑ましくて、すれ違った後、振り返って後ろ姿を見送ってしまうほどです。朝など、スーツ姿のパパが自転車の前と後ろにお子さんを乗せて走っている姿には、思わず気を付けてね~、と。

そうそう自転車と言えば、余談ですが、先日、街で自転車にママが1人おんぶして、そして前と後ろにお子さんを乗せて軽快?に前を通り過ぎたのです。4人乗りです。思わず「え~」と、驚きました。驚いた要因はいくつかあります。ママの自転車さばきのバランスの凄さ、軽快に自転車をこぐ姿、後ろのお子さんの顔が笑顔だった事、これは物理的な強さだけではない、母親として子供を育てる心の強さからなのか、いやいや・・。お子さんは勿論可愛いヘルメットをかぶっていましたが、ここでもまた、気を付けてね~、と心の中で叫んでいました。母は強し、でもちょっと危ないかな~と。

話はだいぶそれてしまいましたが、がんさんとふみさんは商売をしながら、この子を傍において育てる事を決めましたが、がんさんはイクメンではありませんでした。がんさんの考えはこうです。俺は商売を目いっぱい頑張る、稼ぐ。だから、ふみさんはできるだけ子どもをしっかり育ててくれと言うものでした。ふみさんもできるならそうしたいと思っていましたので、ここでも2人の子育てに対する考え方は合致しました。

とは言え、ふみさんが完全に仕事から離れる事は現実的に無理でした。ふみさんは子どもを連れて会社に行く事にしました。そう決心させた理由の一つに、当時、事務所として使っている部屋に隣接して3帖程の部屋が存在していたことがあります。今まであまり必要としていなかったので、そのままにしていました。これまでも、この幼稚園の廃墟の間取りについては記事でふれてきましたが、まだいくつか説明していない場所があったんです。

そうだ! 子どもの部屋にするにはうってつけだ!

とは言え、幼稚園の廃墟です。そのままでは、生まれたばかりの子どもの部屋にはいくら何でも可哀そう。そこで、がんさんとふみさんは休日返上でその部屋を頑張って掃除しましたよ、お金はかけずして、がんさんふみさんの手でそれなりの子ども部屋にしたのです。大丈夫! 大丈夫! これなら…..。

甘いものではなかったけれど

ふみさんは子どもを連れて会社に行くようになりましたが、いやいやどうして……商売と子育て、そんな甘いものではありませんでした。工場長、谷代さん、越山さん、みんなもちろん協力してくれましたが、みんな忙しいのです。

ふみさんは思いました。かえって仕事の邪魔になるのではと…。

それでもふみさんは心に強く思っていました。がんさんには仕事で頑張ってもらう。だから子どもを連れて会社に行っても、がんさんには子どもの事で負担をかけない…その代わり、ふみさんは子どもを優先しようと…さあ、大変! 大変!

でも不思議な事に大変、大変と言えども、辛くないのです。悲しくないのです。不満もおきないのです。若さなのでしょうか、後から思いますに、がんさんもふみさんも目の前の事を必死でこなす、と言うより、無意識ではあったと思いますが、将来の自分たちをしっかり見据え、お互いを信じ、この人生を歩む事に何の迷いなかったのではと考えるのですが、さてどうな気持ちでこの時代を生きたのでしょうか。ここは細かく分析しないでおきましょう。

がんさんとふみさんは、その頃、夜も仕事をするようになっていました。工場長、谷代さん、越山さんが帰ってからも2人で仕事をしていました。

当時はすべてが手作業です。すべては電話のみの受注、発注です。電話で聞き取ってそれを文字にし、その1枚の紙を歩いて必要な担当者に渡すんです。まだ内線もなかったのではないでしょうか。それは時間がかかりますよ。

でも不思議な気持ちです。当時を生き、今を生きる、たかが45年、45年とは長いのでしょうか、短いのでしょうか。いきなり未来の45年目にタイムスリップしたわけではないのですが、徐々に徐々に……気がつけば……現在の仕事の処理の早さ、便利さ、日に日に新しいものを導入、限りなく進化していくような気がします。

商売のやり方も全く変わってしまいましたが、できるならこの進化した多くのシステムを導入し、みんなが使い熟せたならば、それは素晴らしい事として受け入れたいですよね。

ただ、会社は人で成り立ち、商売は人と人との信頼で成り立ち…..どんな時代になろうと、どんなシステムが開発されようと、商売は人の心で成り立つ…..だからこそ、この気持ちがあるからこそ、どんな状況になっても苦しくても、もうダメだと思ったとしても、45年もの間、㈱立川徽章はこの地でこの徽章屋を続けてこられたのだろうと…思うのです。

まあ、がんさんふみさんに確認したわけでもないのに(笑)どんな気持ちで商売を続けていたなんて…現実は必死だった、でしょうね。(また 笑 ですかね)

『大 木 に セ ミ ??』

そんな中、生涯忘れる事の出来ないがんさんの姿をここで披露させて下さい。

今回のテーマは「大木にセミ??」なんです。?を付けましたが、この文章を読んで下さる皆さんにしてみたら、1個では足りないくらい?..と思われているのではないかと、お察し致します。

実は話の背景の季節も夏ではありません。春頃の季節のお話です。なのにじりじりとセミの声…..何の話をするつもり? なのかと思われますよね。

まだどうしても、手作業が多く、人手がいなかったので昼間はがんさんは営業、ふみさんは事務処理、そして夜に手作業をこなす。そんな毎日でした。当然子どもも一緒、ふみさんは子どもをおんぶして作業していました。当然の如くでしたね。

そうそう、また脱線してしまいますが、最近、おんぶより抱っこしているママが多いですよね。いろいろ工夫された抱っこ紐? え~こんなのあるんだ~、と思う事があります。おしゃれ感や機能性、よく考えられていますよね。

良かったです、脱線の話が2行で終わって……いつもは止まらなくなりますので……笑

それで、その抱っこではなく、おんぶのお話です。当時はおんぶが主流です。抱っこ紐などなかったと思います。ふみさんが知らなかっただけかもしれませんが。

3,4ケ月になる子どもをおんぶしての作業は大変ですが、世の親は何て事ないのです。密着しているので、安心ですし、両手は空いていますし、何より我が子の大切さを思ったら……母性は偉大なのです。

しかし、長時間になると子どもだってぐずったりしますし、ふみさんだって疲れます。がんさんとふみさんは向かい合って作業をしています。2人で他愛もない話をしながら、時間だけが経過していく状況の中、がんさんが言いました。

「疲れただろう、俺がおんぶしてみるよ」と……。

「え~」とふみさん……。

おかしいと思われるでしょうが、当時は父親がおんぶするなんて考えてもいなかったし、そもそもがんさんはそういう事をするようなタイプではなかったのです。もちろん、抱っこしたりお風呂に入れたり、それはしますが、おぶい紐でおんぶ? がんさんが? え~?

ふみさんは本当にそう思いました。でも「大丈夫だよ」と言うがんさんのたっての? お願い? かと思い、そう、とふみさんも不安気に同意しました。

さて、ふみさんからおんぶ紐とともに離れた子どもは、いよいよ初めての体験、初めての経験をする瞬間がやってくるのです。重くなった我が子をふみさんは少しかがんでくれた、がんさんの背中に託しました。がんさんと子どもはおぶい紐で結ばれ、しっかり密着しました。

思わずふみさん 笑ってしまいました。その姿は……..。

その姿こそ…….、「大 木 に セ ミ !」だったのです。

がんさんは181cmありました。太ってはいませんでしたが、がっちりしていましたから、その背中にチョコンと小さな子が張り付いているように見えました。夫を「大木」に、我が子を「セミ」に見立てるふみさんもふみさんですが、何とも幸せな光景でした。

がんさんも照れ臭そうでしたが、何だか嬉しそうに作業を再開しました。

何とも、何とも…… 笑

ふみさんはこの光景を生涯忘れる事がなかったようです。そしてその光景を思い出す時、なぜかいつも、薄暗い作業場にがんさんとおんぶされた子ども、そして身軽になったふみさんの姿、その3人にそれぞれスポットライトがあたっているのです。そして3人とも笑顔なんです。

がんさんのおんぶ姿は、この1回だけでした。後にも先にもこのがんさんの姿を見る事はありませんでした。多分、がんさんもふみさんも幸せだとか、辛いとか何にも感じていない時期だったと思います。今を生きる事だけを考えていた時代。でもこの光景は生涯をもって幸せな場面だったのだと思います。

優しさの中で

こうして、がんさんふみさん、そして徽章屋の長女の自宅と会社を往復しながらの生活が始まりました。

工場長は暇ができると抱っこしてくれました。独身の越山さんは子どもとどう接していいか戸惑いながらも、いつもふみさんをサポートしてくれました。そして谷代さんは….. (もう話す前から涙です。すみません)

「ふみさん、あんたの仕事の変わりはいても、あんたの子どもの母親はあんただけだから」

谷代さん特有の言い回しで、子育て大先輩、人生大先輩の谷代さんはこうふみさんに言いました。

仕事もしっかりやらなくては、子どももしっかり育てなくては、そんな気負いでいたふみさん、この谷代さんの言葉にどんなに救われたか言うまでもありませんでした。有難う、谷代さん!

そして、その頃になると、この幼稚園の廃墟の会社にも、スポーツ屋さんの社長さんや営業マンが多く出入りするようになっていました。来訪の時は、ふみさん、できるだけ子どもを事務所に出さないよう、気をつけていました。仕事場に子どもをと不快に思われる方もいるかと思い、気を配りました。でもそれどころか、状況を知ると、子どもに声をかけてくれたり、時には抱っこしてくれたり…でもふみさんはしっかりしていました。

公私混同はいけない事。お客様に甘えてはいけない事。ふみさんはけしてその気持ちを忘れませんでした。ここは仕事場なのだ…けして忘れてはいけない。

この徽章屋に生まれた子どもの環境は慌ただしく、自宅なのか仕事場なのか、ここはどこなの? といつも戸惑っていたかも知れませんね。でも、人のあたたかさ、人の優しさにあふれた環境である事は、わかったのではないでしょうか。それはがんさんふみさんにとって、本当に大きな支えになった事でしょう。

商売はまあまあ順調ではありましたが、現状維持でいいなんてもちろん、がんさんは思っていません。がんさんはある日、この幼稚園の廃墟に来たある人との出会いから、人生が大きく変わる事になります。

そんな出会いのお話を「がんさんにいた街……立川⑩」でご紹介できたらと、今からわくわくしています。