がんさんのいた街…立川⑪ 出会い~それは人生を変える!

今年も半分終了! 7月になりましたね~と…月並みな出だしから始まる今回は⑪の章となります。前回も登場した弊社のライターのKさん! 毎回、原稿締め切り期日を優しく「いつ頃にしましょうか」と聞いてくれる。そんな優しさに甘え、時々、言い訳をして、期日を伸ばしてもらうと言う手口で優しさを裏切ってしまう事が多々あります。
次は絶対期日守ります!(う~ん 大丈夫かな)

裏切る!?リアルタイムの立川徽章から

裏切る!と言えば、㈱立川徽章で先日こんな場面がありました。
いつも自画自賛しておりますが、弊社はとても素敵な会社で、ある日の朝礼で、社員から社長にサプライズがありました。弊社も気づけば創業46年目に入っております。そこで社員は45周年の記念にと社長にあるプレゼントを差し出しました。

それが ☟ です

 

もう弊社の社長そのものです。泣きの社長! 思わず やはりみんなこのイメージだよね 笑。弊社の社長は泣き虫なのではありません。感動に弱いんです。大事な場面で自分で話していて言葉に詰まる場面が多々あります。

時に若くして二代目となり、誰にも分らない苦悩の涙かもしれません。
時に人への感謝からくる涙かも知れません。
日々出会う感動の涙かも知れません。

そんな社長を社員、パートさんは時に驚き、戸惑いながらもその瞬間を受け入れてくれる。

それにしても 泣きの社長! いいですね~ 誰が考えてくれたの? センス抜群!

で、裏切り!の場面とはですね、このサプライズで誰しも社長が泣く! と予想!
ところが、ところが、今回は泣かなかったんです。 え~ 社長どうしました~

後日聞いてみました。
「泣くかと思いました」
「いや~ 全く思いもよらない瞬間だったので、驚きすぎて感動までいかなかった」と…

なるほど! わかります。驚きの方が大きすぎてですね。サプライズ大成功でしたね、皆さん!

でもその後、このクリスタルを重たいにも関わらず持ち歩き、友人、知人、仕事関係、あらゆる人に「社員からもらったんだ」と自慢していたらしいですよ。感動、歓びは涙だけではなかったようです。良い意味で裏切られてしまいましたと言うお話です。

そんなリアルタイムの㈱立川徽章から、今回も一気に昭和のがんさんふみさんのいるあの場所に皆さんを誘(いざな)います。ついて来て下さいね。

出会いの歓び

がんさんは目覚めてしまいました。世の中は広いと言う事に……。
正式に(社)立川青年会議所(立川JC)に入会したがんさん、生活が一変しました。今までは会社と自宅の往復、立川の地の狭い一画にすべてを注ぎ、その小さな箱の中で、将来を見据えながら、必死で動き回っていました。

しかし、今その小さな箱の中から飛び出し、後に【大好きな街 立川】と豪語するまでに至る道のりをこの時スタートさせました。右も左もわからず….とは本当です。誰一人知人もいない世界に飛び込んで行きました。

「頑張れ! がんさん!」ふみさんは後ろから叫んでいます。

この時はすでに、仕事が欲しいと言う次元ではなく、がんさんが大海に出て、多くの事を見て、知って、経験して….、いやいや、その時にそんな大それた事など考えていなかったと思います。ただ目の前に現れた現実に飛び込んでいっただけだったんでしょうね。でも、がんさんはその時すでに、魅力的な未知の場所に、何かを感じていたのかもしれません。

さて、その頃からがんさんふみさんを取り巻く環境は一変します。今まで会社と家庭だけの世界……この立川に友人、知人もいないがんさんでした。しかし、立川JCに入会すると当然定期的に会合、例会等がありました。多くの人との出会いに戸惑いながらも、その新鮮さと地元で活躍する人々との出会いに心から歓びを感じていました。

例会や会合に出席した日は、いつも少し興奮気味にふみさんに報告するのです。

「いや~ 〇〇さん、あの会社の社長なんだけど、気さくで話が面白くて…」
「あの人、地元の名士らしいんだけど、あんな凄い人と直接話ができるんだ」
「いろんな人がいる。でもみんな経営者として頑張っている人ばかりで、刺激になるよ」

ふみさんも聞いていて、「ふ~ん 凄いね がんさんも頑張らなくちゃね」と…..と言ってはいるものの……。がんさんは今までよりも当然忙しくなり、出かける事も多くなり、夜のお付き合いも増えました。いやいやふみさんは子育て仕事とさらに大変になっていく事に、まだ気が付いていませんでした。

でも、もうがんさんは走り出してしまいました。止められません。
泣いてすがっても(いやいや、ふみさんそんな事はしませんでしたよ 笑)それでも止まらなかったでしょうね。

しかし、がんさんも仕事を忘れて走り出したわけではなく、仕事は越山さんがかなり営業できるようになっていましたし、越山さん、工場長、谷代さんにも理解してもらっていました。

「仕事も JC活動も 100%」とか言っていましたね。

がんさん! がんさん! 家庭は~ 何%ですか~

ふ み さ ん の 爆 発 !

ふみさんはがんさんが大好きでした。
(読んで下さっている方、ひかないで下さい。本当らしいですよ)

と言いますか、がんさんに頼りきっていた、ではなく、がんさんの生き方を信じていたと言うのが本当でしょうか。ですから、この幼稚園の廃墟で商売を始める事、この立川で生きていく事、ふみさんはがんさんと一緒なら何も不満も不安もありませんでした。ふみさんは自分ができる事を精一杯やるだけ、それはすべてがんさんの思いがそこにあったからなんです。

の はずでした。(えっ! またいきなり! ですか)

ふみさんはそんなにできた人間ではなかったんです。
当時まだ25歳ごろでしたかね、ふみさんは…..。
子育てと商売、がんさんは自分たちの手で育てようと、保育園には入れず、俺が稼ぐ! だからふみさんはできるだけ子育てに専念せよ! みたいな?

しかし、1日24時間、1人の人間のできる事には限度がありますよね。がんさんはJC 活動に熱心になり、留守がちになって行きます。仕事は越山さんがしっかりやってくれていましたから、まだふみさんは心強かったのですが、立川JCでの立場、役職がつくようになると、がんさんは本当に忙しくなりました。

まだまだ、会社は安定などしていませんでしたし、地元の大きな会社の方々と同じ行動をするのは、時間的にも経済的にも無理がありました。

がんさんは基本真面目です。入会したからには、いい加減な活動はできなかったんですね。中途半端ではだめだったんでしょうね。がんさんは突っ走ります。

ふみさん、ある日言いました。
「JCと家庭 どっちが大事なの? 大きな会社の社長さんとがんさんは違うのよ!」
多分、ふみさんはがんさんと出会ってから初めてではないでしょうか。がんさんにここまで怒りをぶつけったのは…。ふみさんも疲れていたのでしょう、とうとう爆発してしまいました。

それから、ふみさんは時々大爆発! 日々、小規模爆発を繰り返すようになります。
そんな時、がんさんどうしたかって? 黙るんです。ずっとふみさんの怒りを聞いています。
どこのご夫婦も同じなのでしょうか 笑

がんさんはふみさんの怒りに屈する事もなく、また、否定もせず……。
そう、がんさんは自分の信念が揺らぐ事はありませんでした。

がんさんにとっては、自分の持つエネルギーのすべて、そのエネルギーは仕事100% JC100%なんです。がんさんの気持ちの中では、どちらも100%なんです。

そこに家庭が出てこないのは、家庭は変動のない、揺るぎない存在、家庭があって仕事ができ、JC活動ができるのだとがんさんは考えていたのでしょう。

子どもと過ごす時間が少なくても、家庭にいる時間が少なくても、がんさんは自分の生きる姿を貫く事で、子どもがそれを見て育ち、ふみさんは自分を信じてくれると、きっと信じていたのだと思います。

しかし、しかし、当時のふみさん、そんな事わかりませんでした。

そんな時も、会社に行くと、工場長や谷代さん、越山さんが笑顔でいてくれる。

「男はさ、外に出さなきゃ、ふみさんも大変だけど….頑張ってや」と、工場長が静かに言う。

「がんさんは大丈夫! がんさんはみんなの事思っているから あんたがしっかり家庭を守んなきゃ 大変だけど  さ」と、谷代さんが、谷代さん特有の言い回しで言う。

越山さんは黙って傍で “そうですよ” と言う顔をしている。

どれだけ、ふみさんは㈱立川徽章の3人に支えられて生きていたか、そんな時代でしたね。

爆発から強さへ

こうして、がんさんの生活は変わり、いつもふみさんのそばにいたがんさんは忙しく、仕事に立川JCにと飛び回り、日々、ふみさんの怒りにも耐えつつ、人間としても男としても大きくなろうとしていました。

そして㈱立川徽章も、徐々にではありましたが、がんさんの立川JCでの活動も重なり、名前を知っていただけるようになりました。

当時は、トロフィー・カップの需要は多かったですし、競技大会、ゴルフ大会、金額の張る大きな仕事はあまりありませんでしたが、そうした小さな仕事が順調に入っていました。前にもお話ししましたが、FAXもない時代、電話だけで、仕事の注文を受けていたのですから…..今の㈱立川徽章の全社員、パートさん想像できないでしょうね。

となると、今の弊社の社員、パートさんが年を重ねた時、きっと今想像もできないような仕事環境になっていますよ。現在でも、仕事の効率化は日々進化し続けています。

ここで是非とも登場させたい弊社の社員Sくん、と言ってももう30代半ばの男性です。
Sくん、会社のPCを初め、社内のあらゆる新しい事を始めたり、現状を変えたりする時、それはそれは徹底的に調べ、弊社にとって何がいいか情報を常に集め、より良い方向に導いてくれます。本当に凄い!

ある人は言います。
例えばPCでのトラブル、どんな時も絶対解決してくれる! そう思います(多分、全員)。

弊社にはこういう素敵な社員、パートさんがたくさんいます。いや、みんな一人ひとり素敵なんです。㈱立川徽章は今、「頑張っている人を表彰する」をスローガンに、もらう人、あげる人、表彰文化を世にもっともっと広めたいと会社一丸となって取り組んでいるんです。

頑張っている人をけして見逃さない!

皆さんの周りにもたくさんいますよ。あっ! またテーマから外れてしまいましたね。すみません。「爆発から強さへ」でした。

がんさんが大海に出て、多くの人に揉まれながら、人間としても男としても大きくなっていこうとする中、ふみさんも負けてはいません。人間として、女として、時々爆発を続けながらも、そう、精神も強くなり、生きる事に強くなっていきましたよ。

がんさんもふみさんも、この立川の地で強く生きていこうとしています。

がんさんは、この頃、この幼稚園の廃墟からそろそろ出たいと思うようになっていました。もっとショールームを充実させ、人目につきやすい場所に移転したいと考えていたのでした。

でも資金は当然ありません。さてさて……。

ところが、強い思い、強い願い、諦めない心は、またもや、がんさんをある方向へと導いてくれました。

思えば立川JCへの入会のきっかけは、ある日の1人の男性の来訪からでした。

次のステップへと、がんさんの背中を押してくれたのは、ある日の休日に自宅にかかってきた1本の電話でした。

そこから、㈱立川徽章は地道に立川の地で根をはり始めます。奇跡は起こりました。

次回は㈱立川徽章が大きく変わる瞬間をお届けします。みなさまも、その瞬間を是非とも見逃さず、現在の㈱立川徽章へと続く大きな扉の開く瞬間を、また一緒に追体験していただけると信じております。そして、弊社ライターKさんとの締切日を裏切らないよう、楽しみながら、あの時代にスポットを当ててみたいと思っています。