「2分の1成人式」から見える感謝のあり方

朝のキンとした空気が緩んできたと思ったら、もう3月なのですね。春が近づくと別れと出会いのシーズン到来ということで、卒業記念品や社章・園章も製作するトロフィー生活では慌ただしい日々を迎えています。この節目のとき、卒業式を始めとしたセレモニーが多く行われていますが、ここ十数年で各地の小学校に広まってきた「2分の1成人式」という行事をご存じでしょうか。開催について賛否両論が出ている「2分の1成人式」を通して、感謝や想いの伝え方を探ります。

「2分の1成人式」とは

「2分の1成人式」は、子どもが成人のちょうど半分の10歳を迎えたことを記念するセレモニーで、これまでの成長を振り返り、育ててくれた人への感謝を表したり、これからの抱負を語ったりする大切な機会として広まってきました。2006年時点で半数以上の公立小学校で実施されているという「2分の1成人式」。近ごろでは、春先の今時期に行われる小学4年生の定番イベントになっているようです。行事内容としては、だいたい次のようなことが行われています(学校によって違います)。

  • 将来の夢を発表する
  • 合唱をする
  • 「2分の1成人証書」をもらう
  • 20歳の自分へ手紙を書く
  • 親に感謝の手紙をわたす
  • 親から手紙をもらう
  • 写真や名前の由来などをもとに、生い立ちを振り返る

保護者の9割が満足との調査も

子どもの側に立ってみれば、親への感謝を強制!? されたり、大勢の前で夢を語らされたりと、少し迷惑な話しに思えます。筆者の小学校時代にはなかったのですが、行事で何かやらなければならないのを苦痛に思う子どもだったので、「面倒なことをさせられずによかった」が本音です。ただ、保護者側となった今の私としては、小さかった我が子がこんなに大きく成長したのかと単純に涙腺が緩みそうな気がします。勝手なものですね(笑)。先日、実際に「2分の1成人式」に参列した友人も、子どもの「(式中)実は泣きそうだった」という言葉にさらに感動していました。

『ベネッセ 教育情報サイト』の調査によると、9割近くの保護者がイベントに満足したと答えています。日々の暮らしの中では、家族といえどもお互いに何を考え感じているのかわからないもの。人の気持ちは目に見えませんから、お互いの想いを交換する絶好の機会として、意義あるものだと保護者は捉えているのではないでしょうか。

賛否両論あるイベントの中身

もともとは、1970年代半ばに、兵庫県西宮市の教師が高学年への門出にと始めたものだそうです。10歳は、思春期や第二反抗期の入り口にちょうど立つ年齢です。成長段階の節目ともいえるときに、過去を振り返り、自分の未来を想像するというイベントに賛同の声が集まったのには頷けます。

一方、個人の背景への配慮のなさを指摘する声にハッとしました。家庭の形態が多様化し、一人親や再婚、里親、養親、施設、児童虐待など、複雑な家庭環境を持つ子どもがクラス単位で見ても少なからずいます。その子どもたちが「親への感謝」や「名前の由来」「成長過程の写真」というキーワードに対してどんな想いを持つのか――という指摘です。確かに、難しいです。

感動や感謝の強制ではない方法で

苦痛に思う人が一人でもいるなら、開催すべきではないかもしれません。しかし、それは本来の「2分の1成人式」の意義からみれば極論です。それぞれの環境は違っても、誰かが見守り育ててくれたことは、すべての子どもに共通することだと思います。そうした自らを取り巻く状況を踏まえて、これからどうあるべきかを10歳という年齢で考えるのも大切なことだとも感じます。例え親からの愛が得られなくても、自分のことを大切にしてくれる人がいると自覚できることはいいことだという指摘もあります。

最近の風潮として、感動や感謝へ焦点を当てすぎるというところに問題があるのではないでしょうか。感動を押しつけるような演出をしたり、感謝を強制したりするような持って行き方は主旨から大きく外れます。こうした儀式や儀礼はとかく形式的になりがちで、必要なのか? という議論が湧きますが、やはり想いを形にして確認し合うこと自体は大切です。表彰業界に身を置くトロフィー生活としても課題ですが、お仕着せにならない方法を模索していくべきだと考えています。