がんさんのいた街…立川④「新緑の頃…昭和49年 5人の笑顔満載!」

新緑の頃…昭和49年 5人の笑顔満載!

2018年も㈱立川徽章の周りの桜も見事に咲き、そして美しく散りゆき、今、新緑の頃を迎え、爽やかな季節となりました。しかし、例年になく真夏の様な日差しが照りつける日があれば、4月の頃に突然引き戻されたり、なかなかゆっくり新緑の爽やかさを感じられずにいます。こんな気候が続くのは、四季のある日本に生まれた育った者にとってはちょっと悲しい現実のように思います。

昭和49年の新緑の頃、まさに㈲立川徽章はこの世に存在し、前だけを見て歩き始めた頃でした。その頃の5月は今年、2018年とは違って爽やかな風が心地よく、日差しも透き通っている様に感じました。……それは、良き時代の思い出が、季節の感じ方もそう心に残してくれたのかもしれません。

【 野 良 猫 】

幼稚園の廃墟で出会ったがんさん、ふみさん、工場長、越山さん、谷代さんは、それぞれの仕事の分担をしっかり把握し、ここは私に任せて! とばかりにみんな張り切って仕事に励んでいました。越山さん、ふみさんも車の免許を取得し、ふみさんと越山さんも内勤と営業を兼務し始めていました。

当時の営業手段は、営業範囲のスポーツ屋さんやボウリング場を予めリサーチして、アポなしで行く、その途中、扱ってくれそうな店を見つけたら入って行く。
もうひとつは、ひたすら手書きのダイレクトメールを郵便で出す。そしてそれを見たお客様から問い合わせがあれば、即 出向いて仕事を頂く。PC時代には想像できない光景かと思われますが、机の上では営業は出来ないのです。足を使うしかないのです。かつてはそれが普通でした。

アポなし営業はがんさん……大変だったと思います。すべてはがんさんのこの営業力にかかっていたのですから。問い合わせがあったお客様に出向くのは越山さんかふみさんでした。

そして仕事もだんだん増え、夜遅くまで仕事をする事が多くなったある日、上の方から何やらごそごそ……
猫だ! 当時は野良猫は普通にいましたから、みんなすぐ猫だと分かりました。広い廃墟の幼稚園、それは猫が住むでしょうね~(笑)。しかし、この時まで気づきませんでした、がんさんもふみさんも。
昼間はどこかに行っていて、夜に戻ってくるのでしょう。それもごく自然な生き方!
さてさて……困った……

そんなある日、園庭は日差しがたっぷりあたり穏やかな午後、谷代さんが事務所に笑いながら入って来ました。
「ちょっと、外、見てみて」、と

ちょうど、がんさん、ふみさん、越山さんが事務所にいて、 一同「?????」

「どうしたの? 谷代さん!」とふみさんが谷代さんの方をみて反応しました。

すると 谷代さんが園庭を指さしたのです。

3人は開閉の悪い木窓をそっと開けて園庭を見てみると、何やら工場長が3,4匹の猫に何か餌を与えながら、話しかけているのです。どうもこの幼稚園に住む権利の話し合いの様です。
谷代さんによると、

「なあ、おまえら、先に住んでいたところ悪いが出て行ってくれないか、俺たち生活かかっていて必死で頑張らなくてはいけないんだ、ここしかないんだ。頼むな」と言ったと言うのです、真剣に……

すると、いつの間にか谷代さんも工場長の所に現れ、
「工場長がこう言っているからさ、可哀そうだけど他探しな」と一緒に交渉し始めたのです。

【武力か対話か】2018年、世界情勢はここに集中している。
対話なのである。話せば理解しあえるのである。けして武力では解決しないのである。

数日後、猫は姿を消したのです。その後、㈲立川徽章が他の地へ移転するまで、猫で悩ませられる事は一度もありませんでした。真実の話であります。

【 雨 漏 り 】  

さて、猫騒動と並行して、雨漏りは、この建物を見たら有りうる状況ではありましたが、契約時、その話は出ませんでした。がんさんとふみさんは何も気づかず、当然大家さんは、

〔この建物を借りようとしているなら、当然 織り込み済み〕
と思っていたのかも知れません。がんさんとふみさん、勿論、大家さんに駆け込んだりはしませんでした。
幸いな事に、事務所だけは雨漏りしませんでした。あまり使っていない部屋、廊下に染み込んでくると言う状況で、応急処置? ではなく、その時点で最大の処置、5人でいろいろ工夫して雨の侵入を防いだのでした。

がんさんは思いました。〔そう長くはこの建物にはいられない。〕

しかし、現実は厳しく、がんさんの思惑とは裏腹にこの建物から脱出するのに7年を要しました。幼稚園の廃墟はがんさんとふみさんのお城になっていました。

事務所にはそれなりに大切な物がありましたから、念の為、帰る時には大きなシートを5人で手分けして、覆い被せて帰りました。それが日課になったのです。

当時、がんさんとふみさんはその建物から車で5分くらいの所に住んでいました。雨が降る夜は何となく気になりましたが、今はどうする事も出来ない……。業者に入ってもらい、手直ししてもらう必要がある事は重々わかっていましたが、今そこに投入するお金はない!のです。

これは完全にがんさんとふみさんの空想にすぎないのですが、初めてこの建物と出会った時、建物は死んでいました。でも、今は同じ建物なのに、しっかり地に足を着け、生き生き見えるのです。ですから、雨漏りもいつかは解消する、当時はそれくらい気持ちが強く、また、根拠のない未来の成功を2人は描いていたと思われるのです。
もちろん雨漏りが自然に解消することはありませんでした。結局、大分後になって業者にお願いする事になったと記憶しています。

【  虫  】

野良猫・雨漏り……ときたら、最後は

む し……虫!

ある日、ふみさんが工場長、谷代さんのいる作業場に行くと、谷代さんの足にガムテープらしきなにかが巻かれている??

「やだ~、谷代さ~ん。ど、どうしたんですか??????」ふみさん、あまりの衝撃的な谷代さんの姿に、驚く!

というのも、谷代さんは、なぜかいつもスカートを履いて作業をしていたのです。ある時、工場長が、
「あんたは (工場長は人をさす時、「あんた」と言っていました)なぜ、ズボンを履かないの?」と……
谷代さん、「女だからよ」と一言。

・・・・・・・・一同「なるほど! 納得!」

そんな 女性らしい? 谷代さんの足を、なんと……虫が……虫が……襲ったのです。矢代さんは何のためらいもなく、自分の靴下とスカートの間の空間に紙らしきものを挟んで、その上から隙間のない様、ガムテープを巻きつけたのでした。笑ってはいけない、いけない、と思いながら、ふみさんは事務所に戻り、がんさんと越山さんに今見た衝撃な状況を笑いをこらえて話す、話す……そしてまた3人で作業場に……

「だってしょうがないじゃない、どこから入ってくるかわからないんだから」

谷代さんは作業の手を休める事なく、平然と言ったのです。こんな所で働けないわ……と言われて当然の場面で、谷代さんは最高に格好良かった! 女性らしい谷代さんは女性らしく強かった!

ちなみに襲われたのはなぜか谷代さんだけ、他の4人に被害はなかった事も書き添えておきましょう。

対話に成功した工場長、虫と戦った谷代さん、 いつも工場長と谷代さんの言い合いの仲裁に入って仕事をうまくまとめていった越山さん……。
(この仲裁の話も多々あります。今後、その機会が巡ってきたら、お話したいと思っています)

こういう人たちがあって、それから40数年も経って今も㈱立川徽章があるということの意味を考えて日々、お客様と向き合っています。

トロフィー・カップは当時どうして売れていったのか、お話したいのですが、まずここにいた人たちのエピソードを皆さんに伝える事から始めないと、仕事が進みません。会社は人が作るものですから……、次回はいよいよ㈱立川徽章がどんな商売を展開していったかお話ししたいと考えています。