【歴史編】トロフィー術も“天下一”だった!――豊臣秀吉

歴史の中の表彰にスポットを当てる『戦国武将のトロフィー術』第2弾は、「戦国一の出世頭」と評されたあの豊臣秀吉を取り上げます。人たらしといわれるほど、人心掌握に巧みだった秀吉。異例なスピード出世ぶりは、配下に限らず、仕える主人にも発揮した人を認める巧みな技術があってこそといえます。現代にも通用する秀吉のトロフィー術とは?

下層階級の生まれから天下人へ

豊臣秀吉は戦国時代の日本を天下統一に導いた三英傑の一人。織田信長、徳川家康に並ぶ戦国武将として、ご存じのとおり現代でもかなりの有名人です。秀吉の出自は定かではありませんが、尾張の国(愛知県)の農家に生まれたと考えられています。一説には足軽だったとも(最下級の兵士のこと)。なんにせよ身分制度が厳格な時代に、下層階級から一代で上り詰め「太閤」の称号を得た秀吉は、不世出な人物だったといえます。織田氏の嫡男である信長や、人質として辛い幼少を過ごしたといいつつも松平氏嫡男の家康はそもそも戦国大名の出です。同じ三英傑でも生い立ちからして違い、天下までの道のりは険しく長かったに違いありません。たたき上げで出世した人のことを現代でも「今太閤」と呼びますが、それほどの立身出世だったのです。

人の心をつかむのが巧み

秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた1554年(天文23年)頃のことです。織田信長に仕えてから、しだいに頭角を現していった秀吉。本人の才覚があったのはもちろんですが、人の心をつかむのが巧みであったことが大きいでしょう。子どものころから苦労を重ねてきたことから、人間観察が鋭く、人がどういう生き物かをよく心得ていました。なんどか主人を変えてきた秀吉ですが、部下にも主人がいいか悪いかを判断する権利があるという持論を持っていたそうです。信長は、出身や身分にこだわらない能力重視の人だったので、秀吉はその点に自分の可能性を見出したのかもしれません。

そんな秀吉でしたから、「尾張の大うつけ」といわれるほどの激烈な性格である信長についてもよく見ていました。信長は一度敵になった者には容赦ない仕打ちをし、降伏しても許すことはなかったといいます。信長の逆鱗にふれ失脚するものも多かった中、立場をわきまえつつ功績を挙げることで異例の出世を遂げていったのです。信長の草履を懐に入れて温めておいて信長を大いに喜ばせたという有名な逸話があります。単なる、おべっかやゴマすりだと感じさせないのが、秀吉の人の心をつかむうまさなのだと思います。

現場の意欲を絶妙な方策で引き出す!

秀吉の統率力を示すエピソードに清洲城の塀の普請があります。台風で壊れてしまった清州城の塀の修理がなかなか進まなかったときのことです。塀が壊れていては、いつ敵が攻めてくるかわかりません。しびれを切らした信長は、目をかけ始めていた秀吉に修理を命じ、担当を交替させました。早速秀吉は修理個所を確認すると10カ所に分け、作業する人も10組に分けて修理個所はクジ引きで決定。そのあと、「一番早くできた組には信長様から褒美が出るぞ」と仕事を競わせたといいます。

秀吉のやり方自体はもちろん、壊れた塀の修理に城主が褒美を出すなどは前代未聞ですから、みんなが驚きました。しかし半信半疑ながら、褒美が出るとの言葉に先を争って修理し、いくら経っても直らなかった塀がたちまちできあがったのでした。そして秀吉は約束どおりに信長から慰労の声をかけさせて、褒美を出させています。配下からはもちろん信長から見ても、秀吉の株が上がったのはいうまでもありません。

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欲求を満たすことの重要性を証明

「平等な仕事で人を競わせて優れた人を称賛する」というのは、人の意欲を向上させて業績を上げるための定石ですが、現代であっても実践できていない例が多くあるように思います。しかし秀吉はこの時代に、現場のやる気アップの方法を実践していたのです。

人の意欲やモチベーションを考えるとき、アメリカの心理学者であるアブラハム・マズロー博士による「欲求段階説」が参考になります。マズローは、「人間は絶えず自己実現に向かって成長するもの」と指摘していますが、今も昔もこうした人間の欲求は変わりません。秀吉は「人たらし」といわれるほど多くの人を惹きつけたと語り継がれていますが、人の持っている「承認欲求」(称賛を得たいという欲求)と「自己実現の欲求」(最高の自分になりたいという欲求)を満たすことの重要性を、感覚でながら捉えていたからに違いありません。

本能寺の変で信長亡き後、織田家内部の勢力争いに勝ち、後継の地位を得て天下統一を果たした秀吉。しかし晩年は、有能な補佐役であった弟の秀長を失い、千利休や養子秀次への制裁など、しだいに精彩を欠いていきます。子どもに恵まれなかった秀吉が奇跡的に授かった秀頼に託した豊臣家は、時代の波にのまれついに家康に滅ぼされることになったのでした。このへんのお話は、今まさにNHK大河ドラマ『真田丸』で放映中。年末にかけて豊臣氏滅亡のクライマックスを迎えるところですね。盛り上がってきましたーっと、話しがそれました。栄枯盛衰とはいいますが、変わらぬ本質も見えてきます。歴史を遡り学ぶことの意義がそこにあるのではないでしょうか。