複数の子どもたちにジュースやケーキを分けることを想像していただくとわかりやすいのですが、「公正さ」とは非常に重要な事柄です。数ミリリットルのジュースの差をめぐって小競り合いがおき、ときには涙の雨が降ることも……。実はこれ、子どもの世界に限ったことではありません。大人社会でいえば、まさか飲食の多寡でどうこうはならないと思いますが、同じレベル・量の仕事をしているはずなのに評価や待遇に差があったらどうでしょう。心中は穏やかではないはずです。アワード(表彰)の世界では、社員のモチベーションアップや業績向上に社内表彰を行ったにも関わらず、「公正さ」が不透明だっために効果が出なかったという例もあります。なぜ、人はここまで「公正さ」にこだわるのでしょうか?
公正へのこだわりは先天的
かたよりがなく平等なことを「公正」といいます。そして、人が求める「公正さ」は、後天的に教わって持つ感覚ではありません。それは「公正さ」へのこだわりを考えたとき、人類の進化にまで及ぶことからもわかります。霊長類の社会的知能研究の第一人者として知られる、動物行動学者フランス・ドゥ・ヴァール氏らは、霊長類の仲間であるオマキザルにも「不公平に対する嫌悪」が見られるとの報告しています。
この実験では、私たちヒトに近い存在とはいえ、進化的にみればかなり遠いといえるオマキザルが、「公正さ」を求める感覚を持っていることを証明しました。ヒトとオマキザルが進化的に枝分かれしたのは数千万年前ですから、それ以前にもうわれわれ霊長類は「公正さ」に対する感覚が備わっていたと考えられます。不公平を感じたときにモヤモヤする気持ちは、私たちが先天的に持っている感情といえるのです。
「不公平じゃないかっ!」
ドゥ・ヴァール氏らの実験を紹介しておきます。まず、オマキザルに小石を一つ渡し、その小石がキュウリのスライス一切れと引き換えになることを教えます。2匹のオマキザルで実験開始。それぞれに小石を渡してキュウリとの物々交換をします。小石がキュウリになるとあって、なんと25回も続けて交換しています。しかし、異変が起きたのは、片方のオマキザルに対して、キュウリではなくブドウ1粒が与えられたときです。ちなみにブドウは、オマキザルにとってキュウリよりも格段に価値のある大好物だそうです。
ブドウをもらえるようになったオマキザルの態度に変化はなかったのですが、小石をキュウリとしか交換してもらえないオマキザルは、いら立って攻撃行動を始めたといいます。小石を投げだしたり、あげくには小石と交換したキュウリですら放棄したりといった具合です。オマキザルが十分に食べられる物を捨てるのはよほどのことだそうです。「不公平じゃないかっ!」という不満の表れであると、ドゥ・ヴァール氏らは指摘しています。なぜ不公平に対しての抗議だとわかるかというと、こういった不公平な状況がない限り、例えば実験者がブドウを持っていてチラつかせたとしても「ブドウを寄こせ!」という抗議を示さないそうです。
他者につけ込まれないために
こうした行動の進化を探求する行動生態学による議論は、経済学にも波及しました。それまで経済学では、ヒトは1円でも多く自己利益を追求しようとする存在だと仮定されていましたが、必ずしもそうではないのでは? という疑問が湧いてきたのです。実際、経済ゲームを用いた研究によると、ヒトは必ずしも自己利益のみを追求しているわけではなく、公正であることのほうを重視するという結果が明らかになっています。
私たちヒトがなぜ、他者が得ているものを気にかけるのかというと、長期的に考えれば他者につけ込まれないようにするのに役立つからと言われています。お互いに「公正感にこだわる」ことで、搾取やただ乗りを防ぎ、結局は多くの人の利益につながるというわけです。嫉妬や妬みを諌めるために「人は人、自分は自分」などといいますが、「公正さ」を追求する心は失ってはいけないのです。
“サル”の振り見て我が振り直せ
これまで見てきたように、人は誰でも不平等な扱いやジャッジを受けることに敏感です。良くも悪くも、他者の存在や行動に対して無関心でいることはできないのです。ただ、「公正さ」と一口に言っても、一定の基準がないので混乱が起きてしまっています。例えば、報酬で考えると、すべての人に等しく同じ給料にするのが公正か、それとも能力や努力などの差を考慮した給料にするのが公正か、などです。これは現代では後者のほうが賛同を得ていますが、家庭環境によって子どもの受けられる教育に差異があるのはしようがない、というのは公正でしょうか。自分の立ち位置によって判断が変わってくる「公正感」ですが、だからこそ公正であるかどうかは必ず考えていくべき事柄です。アワード(表彰)の世界であれば、多くの人にとって公正であることが、アワードの価値へとつながっていくのだろうと考えています。
自らの公正感を考えるときに、前述のドゥ・ヴァール氏らがオマキザルで行った別の実験が助けになります。トークン(代用貨幣)と引き換えに品物を手に入れるという実験で、オマキザルは自分だけ報酬がもらえる「利己的な」トークンよりも、自分ともう1匹の相棒の両方が報酬をもらえる「向社会的な」トークンを好んだそうです。オマキザルは他者のことを気づかうことが明らかになりました。“サル”の振り見て我が振り直せではありませんが、他者への視点が答えを握っていそうです。
あなたの「公正感」は本当に正しいですか?
参考文献:
フランス・ドゥ・ヴァール(柴田裕之 訳)『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』紀伊國屋書店 2010年
長谷川眞理子「進化心理学から見たヒトの社会性」認知神経科学 Vol.18 No.3・4 2016