イタリアのベネチア(ヴェネツィア、ベニス)で高潮が起き、水位が通常よりも最大156㎝上昇、市内の約75%が浸水したというニュースを見た。170を超える小さな島々を多くの運河と橋でつないでできた水の都ゆえの災害なのだろう。
最初から水をテーマにデザインされたゆえの「水の都」だ。運河の水はベネチアの繁栄を築き、文化を開花させてきた。近年は地球環境の変化による海面上昇に悩まされ「沈みゆく都市」とも呼ばれているが、イタリア屈指の古都ベネチアはイタリアがイタリアである理由を教えてくれる。
小さな島々と運河と橋でできた都市
そもそもベネチアが築かれたのは5世紀にまで遡る。たび重なる異民族の侵略から逃れるため、アドリア海北部のラグーナ(潟:かた、湿地)に島を造成したのが始まりだった。最盛期には美しい景観と、地中海貿易を牛耳る軍事海洋都市国家の威厳から、「アドリア海の女王」とも謳われている。
島には自転車や自動車の乗り入れが禁じられているため、島内の移動や島々の行き来は、水上バスや水上タクシー、渡し船を用い、もっぱら徒歩で移動するという。中世の趣きを残した街並み、街中を巡る運河。今もなお現実とは思えないような美しい都市として残っている。
世界遺産「ヴェネツィアとその潟」
1987年には、周辺の島々も合わせたベネチアの街全体が「ヴェネツィアとその潟」として世界遺産に登録されている。ラグーナを利用してできた海上都市の景観やルネサンス建築の美しさ、中世のキリスト教とイスラム文化の痕跡、東方貿易による東西文化交流などの価値が認められ、文化遺産としての登録基準6つすべてをクリアした。
イタリア全土に目を向けてみよう。実は世界遺産登録数ランキング(2018年現在)1位はイタリアである。文化遺産の数ではトータル49を保有し、こちらも堂々のトップ。イタリアには「文化」や「美」、「芸術」などを醸成する何かがあるに違いない。
職人を手厚く保護した歴史
ベネチアでよく知られている産業にガラス工芸がある。ベネチアン・ガラスだ。これも芸術的に名高い。ベネチアの島の1つであるムラーノ島の伝統工芸品だが、固有の土地で発展したのには訳がある。それは1291年に行われたというベネチア共和国政府の政策に端を発する。火災を防ぐという名目で、ガラス工芸に欠かせない溶鉱炉の市内での使用が禁止されたのだ。これには、ガラス工芸技術の流出を防ぐための囲い込みという側面が強く、手厚い保護の下、島外不出の掟とともにガラス職人はムラーノ島へ強制移住させられたのである。島から出た職人は極刑だったというから穏やかではないが……。
とはいえ、島に密集することになった数々の工房による切磋琢磨が進み、本格的な技術発展を遂げることになった。エナメル彩色やダイヤモンドポイント彫り、レース・グラス、クリスタル・グラス、マーブル・グラスなどの、繊細で華麗な新しい技法やデザインが続々と編み出されて名品が創られていった。
追い詰められてラグーナに世界を牛耳る都市を造り、島という限られた場所で芸術へと昇華するガラス技術を生み出してしまうのがイタリアなのだ。
DNAに刻まれる美意識
イタリアには探究心と独特な美意識があるといっていいだろう。イタリアではデザイナーの存在価値は絶対だという。日本ではモノづくりをするときデザイナーも請負業者の一人に過ぎないが、イタリアではデザイナーを中心にモノを作るのが普通なのだそうだ。
単にデザインが美しいというだけではなく、機能性、そのモノの存在意義にまで、哲学的に掘り下げていくのがイタリア流だとも聞いた。そして、デザイナーその人の個性が色濃く出るものをよしとする背景があるという。私たちが「メイド・イン・イタリー」に感じているブランド性や高付加価値は、まさにデザイナーの美意識への共感なのだ。
それは、イタリアという地域の文化や歴史によって紡がれてきたものだ。もはやDNAレベルで刻まれているのだろう。どちらかというと没個性化する日本がイタリアに憧れる理由の一つなのかもしれない。